33 新年あけましておめでとうございます

20200124 金曜日

 

 先輩に会ったところ、「定期的に記録しておいたほうがいい」との由。そろそろ休職期間を振り返りたいと思う。

 現時点で、まるまる2ヶ月のあいだ休職していることになる。

 親や友人と話したり、体を休めたり、本を読んだり、映画を見たり、これからのことを考えたり、転職活動をするなどして過ごしており、何か進展があったわけではまったくない。ただ、悩めば悩むほど蟻地獄に吸い込まれていくので、決断して何かを始めることが肝要だということを孫子の代まで伝えていきたい。反出生主義者なので孫だの子だのが存在するのかきわめて微妙だが。

 

【なぜ休職することになったのか】

 この文章ゴミ溜めにこれまで書き続けているので、何回も繰り返さない。

 思えば昨年11月20日のことだが、上司に「原稿がどうしても書けない」と打ち明けた。10月上旬には、8月下旬からずっと生きる楽しみと化していた「とある企業への転職の面接」に落ちたり、9月頭まで取り憑かれていた仕事がひと段落したりなどで、すっかり疲れ果て、仕事へのエネルギーが枯渇しているのは感じていた。「やる気の問題だろう」「しばらくしたら戻るだろう」と思っていたが、エマージェンシーな仕事が発生すると湧き上がるアドレナリンが出ない。おかしいな、と思っていたが、簡単な仕事でさえこなせない。

 あまり風邪をひいたりせず、「〜さんは元気でいいね」という認識が社内にもあったわけだが、頭痛が無限に続いたり、血尿が出たり、奥歯が膿み続けて痛かったり、抗生物質が手放せなかったり、不眠が続いたりした。この状態が1ヶ月半ほど続いて、ようやく上司に勧められて病院に行くことにしたのだった。ウイルスに起因するものでないから、バシッと病名が決まるわけでもないが、「自律神経失調症」との診断書が出て、精神安定剤が処方された。バシッと病名が決まるわけでもないので、他の病院に行ったところ、別の精神安定剤が処方された。頭がぼうっとするのは困るし、そこまで重症でもないと思っていた(思いたかった)ので、漢方薬だけ飲み続けている。

 

【休職中のお気持ち遷移】

11月20日 死

11月21日〜24日 4日だけ休んでSに戻るつもりだったが、重い隕石を胃の奥に抱えるような気持ちで出勤するのは耐えられず、休職手続きを取ってもらうことに。このあたりで仕事を続けることへの見切り1.0をつける。

11月25日〜29日 実家で12月のTOEFLに向けて英語を勉強しながら、「これからどうしよう」という恐怖に脅かされる。いくつかの将来案を立ててみる。服薬で何か頭がぼうっとする。

11月30日〜12月1日 Sで休職経験のある同期と会う。

12月2日〜10日 SでTOEFLを受けたり、のんびりする。これからのことを考えて、まいったなと思う。

12月11日〜現在 Tで高校の同級生や会社の同期と会い、これからのことについて話す。産業医と会い、月末に復帰する予定を1月末に延ばすことに同意する。仕事を続けることへの見切り2.0をつける。11月末にいくつか考えた案のなかから最も現実的で有効そうな選択肢にしぼってみる。

 

【休職中になにを決めたのか】

 今年度末あるいは来年度半ばで仕事を辞めるということ。来年度には夏〜秋にかけて院試を受けるつもりだ。大学院に行くと言っても、学部の間に勉強していたことの延長でもなんでもない。もちろんまた会社員に戻りたいが、なんだかんだいって(あらゆる)会社の経営状態はまだまだ盤石なのではないかとの希望的観測は易々と打ち砕かれうるということを身をもって知ったため、会社や業界に依存する特質とは別に何らかの能力を身につけられるといいなと思っている。

 

【そのほか】

 昔、大学生のときに某金で選手を集めちゃう系オーナーの某社のインターンに参加した際、「(我が職種)は潰しが効かないから」と結構歳を食ったオッサン(たしか経済部のキャップ級)が誰に言うともなく呟いていた。東北新幹線のなかで聞いたその呟きに一抹の不安を感じ、今でもそれを思い出している人間は私くらいなものなのだろうか。とかく我が職種は「前職で得られたスキル」をアピールしづらい。また、これまで我が職種は同じ業界のなかで転職していたであろうため、異業種の人々には「どう使っていいかわからない謎の道具が売り込まれてきた」感じがするのであろうか。

 まあ、といえども、この職に就かなければわからなかったこと、知らなかった世界ばかりなので、選択は誤っていたわけではない。ネガティブな方向転換ではなく、単に人生・ネクスト・チャプターへの接続でしかないのだ。