31 東京に帰った

20191125 月曜日

 

 東京に帰って様々なものを捨てた。

 あ、ブログすら書けなくなってきた。数行書いては消し、数行書いては消し、という感じで、集中力の欠如があらゆる活動に浸潤しているのを感じる。

 ともかく私はこの地獄を脱出する。仕事は楽しい(時もあった)が、それ以上に、低俗な人間関係、薄給、あとは、せっかく仕事するなら良い製品を作りたいのに、「別にいいよ」。会社そのものに金がないものな。もう誰も彼もが諦めている。諦めているのか知らないが。ただ、仕事以上に、自分の食い扶持を心配している人が散見される。まあそうだろう。

 良い製品を作りたいし、良い作り手にもなりたかったが、こんなくだらないことなどで諦めざるを得ないのは悲しい。9月6日の製品も、人数がいないなかでも、良いものにしたかった。他の会社の製品よりも見劣りがしたら、話を聞かせてくれた人、助けてくれた人に対して不義理と思った。だから頑張ったし、軟派に関しては遜色なかったと思う。でも頑張ったところで、紙面は縮小するし、職場の人数が少なくなると同時に紙面のクオリティは下がるのもやむを得ないという風潮はどんどん強まる。それは仕方ない。だが、悲しい。報われなさは、給与以上に、自尊心の問題だったんじゃないかと今なら思える。悲しい。どうして負け試合を覚悟しながら働かなきゃならないのか。人数も予算も少ないなかで、やっていく方法を誰か教えてくれよ。

 クソッタレな数多の事象に、私の人生を損なわれたくない。これで「まあ人生そういうこともあるよ、僕もあったし。でも続けていればいいことあるからまだ頑張ろう」などと言われるのであろうが、殺し合いだ。かかってこいクソッタレが。

 ということで今年度末付けの退職届を時宜を見て叩きつけることを決意いたしました。