19 誕生日

20190709  火曜日

  25になった。としても何も変わらない。人生のなかで大きな断絶をもたらすのは喪失体験のみで、たとえば死別とか、病になるとか、じゃないか。歳を重ねることそのものに意味はなく、喪失体験を繰り返すことで人生の文脈は紡がれていくのではないか。

  最近、昔のことを思い出して悲しくなるという、なんというか、追慕と言ったらいいのか、を失った。昔のことは特に思い出さない。感傷に浸ったり、あの時ああすれば、とか。

  明日も食べて、生きていけるのかとか、私の能力ではどこまでいけるのかとか、私の能力を何に差し向ければ最も良いのかとか、あとはここから逃れたいという曖昧模糊とした不安や嫌気を抱えている。そういった不安は私の怠惰、堪え性のなさから来るのか、あるいは正当なものなのかは、私自らも含めて誰にも弁別できないから、遣り過ごせるのを待つしかない。

  どんなに悲しいことがあっても涙すら出ない。心が疲れていても本当に悲しんだり怒ったりできる人は自己愛が強い、と思う。

  ショパンの、人々の間にある美しさの賛美を享受することで、生きながらえている。ピアノを再び弾きたい。仕事を始めてから、良くも悪くも、美しさに目を向けられない。美しさは厳格か、あるいは素朴なものであるため、自己陶酔とも、愚かな粗探しとも、相性が悪い。

  ここ数年の間、美しい、と思ったことはあるだろうかと思い返す。特に思い当たることがない。ポエジーを取り戻したい。

  とりわけ形容詞を排除しようと意識しているのだから、枯渇するに決まっていた。形容詞を返してほしい。言葉を失い、美しさを捉えることができなくなってしまった。