6

20180328 水曜日

 

 遂に、苦しめられ続けてきた業務から解放された。なぜその業務がことさらに私を蝕んだのかをかいつまんで説明したい。業務内容についてつまびらかにすることは諸々の事情より避ける。

 一つはその業務内容に一切に関心が持てないからだ。あるスポーツとそれに取り組む若い少年たちに焦点を当てるものなのだが、私の青春時代というのは「汗と笑顔に彩られた、成功の物語」とは大きくかけ離れていた。であるから、彼らへの共感もなにも、異星人の営みを眺めているような格好だ。それに、そのスポーツそのものについても関心が持てなかった。無論、見ていて面白いなと思うことは多々あるのだが、舞台裏で子どもたちがどのような努力を重ねてきたかを知っているからであって、そうでなければ全く私には関係がない事柄である。

 そして、このスポーツのイベントが自社の主催だったことで、大きく苦しみの総量が変わってくることとなる。10月からちょうど半年間、ひたすらに業務連絡や広報をし続け、時に誤ることなどあれば、種々の人間からの叱責や嫌味をメールボックスに投げ込まれた。

 また、少年たちを束ねる管理組織に苦しめられた。業務に差し支えがあるほどに規制され、その規制を緩和してくれないかと頼んだ日には眉間に深い皺を刻んだ中年の男がずいと詰め寄ってきたり、怒鳴ったりする。私は冷や汗が流れ、奥歯を食いしばり、緊張せざるを得なくなる。社会人とはいえまだ一年目のヒヨッコだ、これで平気な人間などそうそういないだろう。

 もうこれ以上このことについての愚痴を書ききる体力もないので、このあたりにしておきたいが、ともかくこの長期間にわたる業務により、私は疲弊しきってしまった。

 

 疲弊しきって降り立ったのは大学の最寄駅だった。なぜかというと、後輩の卒業式だったからだ。まずは、同業者の先輩と再会した。この先輩というのは、私がこの仕事に就くこととなった契機のいくつかの要素のなかで、重要な存在を占めている人間だ。学生時代の過ごし方をおそらく決定付けた存在であり、大学の方に行けば彼と旧交を温められたらいいなといつも期待している。その先輩と学生時代にたびたび食していたものを食べたわけなのだが、ここ数ヶ月の惨状を説明ながら、学生時代の輝かしい記憶を彷彿させる味覚が喉の奥に到達した瞬間、涙が止まらなくなってしまった。

 「なぜこんなことになってしまったのか」という悲しみや後悔が、やむことなく湧き上がった。すべては私の選択で人生を成立させているため、誰かのせいにしたりしないけれど、しかしもう限界だった。先輩も困惑していただろうが、慰めてくださり、昼飯を食べ終わってから同期や後輩たちが花見をしているらしい場所に向かうことにした。

 そこでも先輩方に労られ、再び涙があふれたわけだが、やはり大学時代の時間の多くをともに分かち合った人間たちの顔は、使い慣れた毛布のようだった。あたたかくて、やさしい。帰ってこれる場所があった、と思った。そして、労働に虐げられている人間は私だけでない、労働に知性を蝕まれていることに不安を感じているのは私だけでなかった。それにどうしようもなく安心した。酒を飲めば変わらないコミュニケーションがあり、変わらない話題もあり、新しい情報もあり、それがうれしかった。

 ただし、苦痛を理解しあい、労わりあうことで「問題」の解決を引き延ばしつづけ、何もなかったように休日が明けたらまた労働を始めるというのは、愚かな労働者の間で散見される現象だ。私は負けたくない。負けないし、次は、次こそは、私は彼らに自分の進歩を示したい。やってやる。そして、これから社会に出る方々にも、どうか矜持を持って、頽落に人生を明け渡さないように、一緒に戦いましょうと言いたい。