23 倒錯的なワイン

20190802 金曜日

 

 私が暮らしている街では、きわめてビオワインが人気だ。ビオワインを取り扱うワインバーも多い。ビオワインとは何か。醸造の際に添加物を入れないだとか、農薬を使わないだとか、ブドウを育てるところから醸造して瓶詰めするまで、できるだけ手を加えないというもの、らしい。ブドウそのものや土が持つ特徴や長所をできるだけ生かそうといったものなのだそうだ。

 さて、ある日、友人と入ったあるワインバーで、店主が「ビオワインなんて、そもそもそれ自体が変態ですからね」と言った。そこで提供されたワインがあまりに異常で、つい驚きの声を発したところ、にやりと笑って言ったのだった。ちなみに、その店主は洞窟の奥にいるような、隠棲しているかのような、奇妙な男で、変態なワインを揃えている人間としては百点満点だった。

 さて、私が驚いたそのワインは「マリオーサ・ロッソ 2016」。香りは豊かではなく、むしろほのかなアルコール臭。すっかり酔っていたからかもしれないが、香りとしてはまったく特徴的ではなかった。しかし、口に含んでみたところ、まったりと甘い。ただ甘いのではなく、なんと言えばいいのかー官能的で、まろやか。ブドウの果汁を、牛乳の舌触りに近づけると言っても、なかなか字面からは理解できなかろう。赤ワインのあの、とげとげしい感じがなぜ除かれているのかまったくわからなかった。

 すると、その店主は「ワイナリーについて調べてみたら」と勧めてきた。そのワイナリーはマリオーザ農園といい、以下のような作り方の特徴を備えていることがわかった。→ ラ・マリオーザ│ビアンコ 2016│BMOワイン公式サイト

 技術によって、消費者を驚愕させるという意思によるのではない。自然に可能な限りの手続きを委ねることで、最上のものに仕上がるという確信/集約農業、大量生産への嫌悪感。この説明を読んだ時には「信仰だ、神の意思に近づく試みだ」と、やや揶揄したが、今では、より深い意義があるのではないかと感じている。

 近代的な工業や技術を農業に応用することで、大土地所有の形態が発生した。すなわち農民は自らの土地から生まれた生産物を享受することはなく、交換価値を生む労働者となったわけだが、その生産物に固有性はない。一方で、ビオワインは小経営のワイナリーによって生まれ、固有性にこだわり、その生産物は商品というよりも芸術品に近い。土地との強い結びつきーそれは、マルクスは資本が解体を要求したものだと説明しているが、ビオワインの作り手は、そして殊にマリオーザ農園の例は、その回復と考えられないか。

 と、そんなことを考えながら、今はフランスはアルボワ、アレクシス・ポルテレという作り手のシャルドネを飲んでいる。アルボワというのはジュラにほど近い石灰質の地域で(ジュラ紀のジュラ、ジュラシックパークのジュラ、恐竜のジュラ)、それこそオーガニックな手法を至高とする作り手が数多くいるらしい。さっぱりとした、ある意味カサカサした感触の、しかしミネラル感が豊かで、後味はねっとりとした白ワインが好きなので、ジュラのワインは大好物だ。あまりワインのことをよくわかっているわけではないが、ぜひおすすめをしたい。