10 年度末によせて

20190326 火曜日

 

 すっかり疲れ切ってしまった。自分の美点として何かを書く際に言葉を尽くすというものがあった気もするけれど、集中力が回復しない。

 さて、今年度も終わりに差し掛かっている。あまりに酷い一年だったことは間違いない。恐ろしい経験をすると人間は成長するのだろうか。恐ろしい経験によって人間は何かを得るのだろうか。何も得ない。自分を支える力を奪い取られていくだけだ。

 喪失したものは新年度になると自動的に補塡されるわけでもない。そのため、この疲れと不安を抱えたまま、働き続けてゆくのだろう。

 私の神経は、思っていたより細いらしい。また、私の性質は怠惰であるし、疲れやすい。さらに、他人との過剰な意思疎通や情報の交流にさらされると、疲弊をきわめる。だからといって何か病に罹患したわけではないが、何をするにも、重力に逆らえない。下降に逆らうことができない。

 今年度を振り返りたい。3月に恐るべき業務から解放されてから、5月から7月にかけて、無気力な日々が続いた。そのうえ、7月末にはとある特殊な業務で苦痛が立て続けに与えられ、毎日、毎晩、おびえながら、死んだほうがいいのではないか、とさえ思うほどに精神状態が悪化した。今思えば、私の性質が悪いゆえに起こったわけではなく、業務の特殊性を理解していなかったこと、私がとりわけ不運だったことに尽きる。だが、渦中にある人間は何か理解したり、判断することは不可能なのだ。やさしい人たちからの励ましや慰めは、再起をするほどには力を持たなかった。上司とも折り合いが悪くなり、じわじわと浸食する苦しさに窒息しそうになりながら、毎日出勤していた。それから1カ月経ち、また異なる特殊な業務に携わらなければならない状況に陥った。9月6日のことだ。

 おそらく、大失敗をしでかした若い人間に、何かを任せることなどできないと判断したのだろう。私はその特殊な業務の蚊帳の外にとどめ置かれた。悲しいかな、どれほど嫌な仕事であろうと、戦力外通告は何よりも強く、人を絶望させる。自分はいらぬ存在だーーと思いながら、毎日出勤することは、本当に苦しいことだった。自分の何もかもが醜く、憎く、情けなく思われた。そうして2カ月が経ち、ようやく特殊な業務に私も着手させてもらえることになった。失った評価を挽回しようと、11月から2月まで、出来る限りの仕事をした。ように思う。

 その間にも、おまえの仕事で評価すべきと思ったことなどないーなどと言われたり、落胆することもあったが、それなりに苦痛に耐えながら、重たい体を引きずりながら走ってきたと思う。そのツケが今月になって全身にのしかかってきた。

 足の爪の皮膚や、奥歯、髪、ありとあらゆるものが傷つき、痛みはじめる。抗生物質を飲んでやり過ごしているが、根治には至らない。

 さあ、どうしたら?この重たい体から脱皮できればいいのだけれど。魂の入れ物がかろやかでなければ、かろやかに生きることはできない。だから、ともかくは、体から老廃物を取り去るためにも、意識的に、秩序を生活に持ち込めたらと思う(それが簡単にできたら困ってはいない)