12 奥尻ワインについて

20190329 金曜日

 

 全部書いてたのが消えた。最悪、週末の喜びが一瞬にして消滅した。このご時世に自動保存ができないのはどうかと思う。酔ってオプションボタンとコマンドボタンを押し間違えたからといって、全部消えるのはおかしいだろう。まあ、ワインがまだ残っているので、飲みきるまで書き直そう。記憶の限りであることだし、もうすっかり酔っ払ってしまっているので、支離滅裂だったら嫌だな(誰がこの駄文の墓場を読んでいるか知らないけど)

 さて、ひと仕事を終え、週末がやってきた。とはいえ、明日も明後日も仕事なのだが。最近は大して苦労しない仕事ばかりだが、ひとりで担務していることもあり、緊張感が和らぐことはない。であるから、週末の模範的な過ごし方は、自宅で音楽を聴いたり、文章を書いたり、小説を読んだりしながら、ワインを飲むに尽きる。今週は、北海道・奥尻島奥尻ワイナリー」のピノグリ(2017年)だ。

 私の味覚は単純かつ素直で、ともすれば幼稚であるため、香りや、口に含んだ際の立体感などに凝った高価な芸術品よりも、フレッシュな香り、豊かな酸味、あるいはワインをめぐるストーリーに惹かれる。その点で、奥尻ワイナリーのワインは大変評価できる。香りは華やかではないが、潮風の甘みが漂っているかのような不思議な風味で、飲みやすく、海辺で育ったからなのだろうか、爽やかだ。奥尻島のワインを知ったのは、かつて親しかった上司が、リースリングが好きなのだと話していた私に「お前はきっと好きだろう」とすすめてくれたことによる。ずっと探し求めていたのだが、どこにでも売っているものではなく、木古内の道の駅でやっと見つけてすぐさま買ったのだった。

 奥尻島といっても、北海道の外の人々にとっては馴染みの深い地名ではなかろう。私も行ったことがないのだが、聞く話によると、奥尻島は北海道南西部に位置し、大ぶりな牡蠣や、雲丹などの海産物に恵まれ、夏には太陽が照るという、恵まれ、祝福された観光地なのだという。だが、奥尻島というと、1993年の「北海道南西沖地震」を思い返さざるを得ない。

 昨年の胆振東部地震を覚えているだろうか?、まさか北海道でという声もあったようだが、これまで北海道を災害は幾度となく襲ってきた。駒ケ岳だの、昭和新山だの、火山の噴火もあったし、十勝沖地震もたびたび起きており、いずれも大きな被害を及ぼした。だが、津波などによって、あの小さな奥尻島で200人超の死亡者を出した地震を、誰も忘れることができない。事実、年配の先輩や上司たちは発生当時に島に行っており、その時に感じた無力感、申し訳なさ、恐怖はつぶさに覚えているようだった。海はゴウゴウと鳴り、舐めるように港を消し去り、多くの人の命を奪った。被害は壊滅的で、その痕跡は語るに堪えなかった、と回想する人もいた。島に入ること自体に罪悪感を感じた人もいた。彼らの記述を読むにつけ、夏のよく晴れた空の下で、波がなぎ倒していった街を見ることほど辛く、悲しいことがあるだろうか、と思う。私も、幾度か被災した土地をたずねる機会が何度かあった。どうしたらよかったのだろうかとは思えない、ただ立ち尽くすしかない、それだけ恐ろしくて、悲しく、巨大だった。

 だが、その土地に暮らす人にとって、そんな災厄が降りかかったとしても、土地を棄てることはそう簡単ではなく、程度の差こそあれ躊躇されていらっしゃる。できることなら、故郷を再びあるべき状態に戻したいと望んでおられる。まったく理解できないことではない。多くの人が「土地を手放さなければならないなら仕方がないが、できたらここに住み続けたい」と口にする。

 その結晶が、「奥尻ワイナリー」だ。災害を受けたあと、例のごとく国は復興のために多くの予算を割き、もとの姿に戻すために建設会社を中心に復興特需で一時、盛り上がった。しかしバブルは弾けるもので、数年すると賑わいは絶えていった。そこで、地元の建設会社が雇用創出のために考案したのが奥尻ワイナリーだったのだという。震災から6年経って葡萄の栽培に乗り出し、2009年にようやく初めての出荷をかなえた。今年で11年目ということだ。

 「吹き渡る風、白く砕ける波、ブナの自然林...。厳しさと優しさが混じり合う島で、荒野を葡萄畑に変えたワインづくりが実りました。淡い黄色、野ばらの香、バランスの良い酸味ときれいな塩味。ひと瓶に封じられているのは奥尻島そのものです」

 ワインのラベルに書かれた、奥尻ワイナリーから消費者へのメッセージ。不覚にも涙がにじむ。私の大切な人たちが波にのまれて死んでしまったら、どれだけ恨むことだろう。海に人格があれば、私は生涯、許すことができないと思う。けれど、海は、波は、奥尻島の一部なのであり、ひと瓶に詰め込むべき光景なのだ。

 あらためて、一口含んでみる。口に含む際に妨げる香りはなく、探そうと思わなければ若干のアルコールの香りを見つけることができないほどに慎ましい。一方で、ワインのなかに感じる海は、人の命を奪う海ではない。あの、日本海に特有の神秘的な青さをたたえ、おだやかにリズムを刻み、波が揺れている。明るい陽の光が反射し、白くかがやく波頭、鮮やかな葡萄と緑の葉、切ない塩辛さ。そして後味はオイリーで、たとえるなら、過去の美しい記憶が上顎に張り付くような感覚だ。

 私は奥尻島に何もできない。誰が何をできるだろう?被災した土地や人々に対して、誰が何をできるっていうのだろう。何もできない。何もできない申し訳なさを抱えつづけ、闖入者として申し訳なさげに被災した土地を歩いている。けれど、せめて、ワインを通して奥尻島を愛し、ワインへの愛を綴ることでまた奥尻のワインを愛する人が1、2人増えたら、この罪悪感は薄れるだろうか、そんなことを期待しながら、とにかくこの美味しいワインを飲み、酩酊に巻き込まれ、申し訳なさを意識の遠くに追いやっている。