9 海について

20180514 月曜日

 

 他人との交流に疲弊すると人はどうなるか。私の選択は「自宅に籠る」だが、気に入っているのは海に思いを馳せながら酒を飲むことだ。まだ、私が暮らしている場所はきわめて冷涼で、海も冷ややかな表情しか見せてくれないが、私の記憶にはたくさんの海の情景が収められているため、いくらでもつなぎ合わせることができる。

 海は私にとって美しいものであり続けてきた。

 幼いころ、横浜に暮らしていた。車を走らせれば鎌倉や逗子、平塚にすぐ行ける距離だったので、両親や周りの大人は好んで私や幼い私の友人たちを海に連れて遊ばせたものだった。伊豆の青い海も私たち家族は好んでたずねる場所だった。そこでの記憶は今や定かではないのだが、まぶたを閉じると透ける陽の光や潮風、秩序だった波の音はたしかに覚えている。日焼け止めの平べったい匂い、熱された砂の感触。

 くわえて、衝撃的だったのは、ドビュッシー「海」とラヴェル「ダフニスとクロエ」、あるいは「洋上の小舟」との出会いだ。「海」の、あまりに理想的な海の上を吹く風、波濤、反射光の映像に憧れ、どうしてもこの場所をたずねたいと願った。未だ到達できてはいないが、おそらくあらゆる海の美しい一瞬をモザイクにしなければ不可能だろう。とくに、第1楽章の日の出の部分は、生きているうちに捉えられるだろうかと思うほどだ。弦楽器とシンバルが示唆する凪のあと、チェロの独奏に続いてティンパニがとどろくのだが、ドビュッシー葛飾北斎の「神奈川沖波裏」に関心を持ち、楽譜の表紙絵にした、というのが確からしく思われる。無形の芸術たる音楽と画面の接続!20世紀以後に生まれていてよかった。「ダフニスとクロエ」も地中海のニンフたちの神秘的な住処を、「洋上の小舟」は海の色彩の濃淡や、揺蕩う舟が徐々に遠ざかってゆき影がゆらめく様を、あまりに美しく描く。どうにかしてこの音楽の源を見てからでないと死ねない、と思う。

 ドビュッシーが出会わせてくれたものは音楽だけではない。マラルメ「海の微風」や、パリ・オルセーに所蔵されている海の絵画の諸々だ。ご多聞に漏れず印象主義象徴主義と呼ばれる時代の絵画が好きなのだが、ドビュッシーと親交のあった芸術家も少なくはないため、彼の伝記から様々な海を発見したものだった。4年前ほどにはオルセーで朝から過ごし、一日中海を見て回った。

 さて、私は先日、期せずして新しい海とまた出会った。フェルナンド・ペソアの「ポルトガルの海」だ。 実はペソアは読んだことがなく、海を描くとは知らなかった。本屋でそぞろ歩いていたら、背が鮮やかなターコイズの本が目に留まった。ー「ポルトガルの海」。母方の祖父がポルトガル語を大学で学び、幾度もひとりで旅に赴いていて、かれが撮影してきたビデオを見たり、かれの旅行譚を聞くのが好きだったから、リスボンの猥雑な雰囲気や果てしない海を想像したことがあった。「あ」と、何か考えることもなく吸い寄せられるように手に取り、ペソアのものだと知った。

 なかには、様々な書き手の名前があった。「フェルナンド・ペソア」、「アルベルト・カエイロ」、「リカルド・レイス」、「アルヴァロ・デ・カンポス」ーすべて彼の異名だそうで、なかば分裂的だと思った。ただ、読み進めていくうちに、たとえばナボコフのように人を食ったような意地の悪さや技巧的な操作は感じない。真摯に分裂しているようで、でもそれは真っ当だ、と思う。なぜなら私たちの発語や創作は一貫した人格から常に出力されているわけではないから(ペソアの意図がどうであったかはわからないが)。「ポルトガルの海」は大航海時代に海を統べるために命を落とした人々や、海が飲み込んだ情念を悼むとともに、海をたたえている。

 

塩からい海よ/お前の塩のなんと多くが/ポルトガルの涙であることか

我らがお前を渡ったため/なんと多くの母親が涙を流し/なんと多くの子がむなしく祈ったことか

お前を我らのものとするために/海よ/なんと多くの許嫁がついに花嫁衣装を着られなかったことか

それは意味あることであったか/なにごとであれ/意味はあるのだ/もし魂が卑小なるものでないかぎり

ボハドールの岬を越えんと欲するならば/悲痛もまたのりこえなければならぬ

神は海に危難と深淵をもうけた/だが神が大空を映したのもまたこの海だ

O mar salgado, quanto do teu sal
São lágrimas de Portugal!
Por te cruzarmos, quantas mães choraram,
Quantos filhos em vão rezaram!
Quantas noivas ficaram por casar
Para que fosses nosso, ó mar!

Valeu a pena? Tudo vale a pena
Se a alma não é pequena.
Quem quer passar além do Bojador
Tem que passar além da dor.
Deus ao mar o perigo e o abismo deu,
Mas nele é que espelhou o céu.