7 年度末に際して

20180331 土曜日

 

 年度末だ。私でも、1年間とくに何もなく会社員を勤め上げられたということになる。いや、何かあったのだろうが、日々は過ぎ去り、記憶は薄れゆく。

 ともあれ、ひとまずは安堵したい。ちょうど1年前は労働への適性が低いのではないかときわめて怯えていたのだから。

 昼まで眠り疲れた体を癒し、掃除と洗濯をひとしきり行ってから、レーニン「哲学ノート」の「現象」の章について整理した。気分転換に外出したところ、西の空は美しい夕焼け、東の空は冷たいアイスブルーの色彩をたたえていたので、すこしばかりスクリャービンマズルカを聴きながら散歩して、近くの大学の喫煙所で煙草を吸った。それで、帰宅してから大学時代の後輩Mから送ってもらったスクリャービンベートーヴェンの演奏を聴いた。どちらも神経がこまやかで、あるべき場所に音符が位置する素晴らしいものだった。スクリャービンは作品32の詩曲。ショパンに倣ってロマンティックな小曲を書きながらも、ソナタで意欲的な試みをはじめる頃だ。1曲目は夜明けの微睡みと恋の独白、2曲目は熱烈な愛の告白という筋書きが私のなかにあって、とても肉感的な音楽だと思っていたのだが、彼の演奏では星がきらめいたり、炎があがっていたりした。その情景のなかにあまり人がいなさそうだったのは実に彼らしいと思う。特に気に入ったのはベートーヴェンピアノソナタ31番、3楽章のアリオーソ・ドレンテから、フーガに移る一呼吸と、きわめて論理的で慎重なフーガ。彼は、最終盤のフーガの加速は意図したものだと言っていた気がするが、今度その解釈について伺いたい。

 夜は高校最後の年をともに過ごしたMと電話した。様々な話をしたが、「ただただ、旅に出たい」というのが私たちの一致するところだった。外へ飛び出してゆきたい気持ちを抑えこんだだけでも上出来だ。私たちの通っていた学校はすこし特殊で、かなりの人間が人生のどこかの局面で海外で少なくとも1年過ごすことを選択する。彼女も例外ではなく、アメリカにいたり、オランダにいたり、せわしなかった。その人間たちがみなおとなしくなるのだから、労働の鎖とは何と堅牢であることか、と思わざるを得ない。 そういえば、Mとともに親しくしていたSがマケドニアにこの春から移るという。夫と娘と暮らすためだ。夏にはおそらくSを訪ねるためにMとバルカンにおもむくことになるだろうと思う。 また、彼女は「この1年は早かった。成長を感じられない、頭を使わなくなった」と話していた。全き同意。会社とは職人の集団なのではなく、人間と人間のあいだを上手に泳げた人間が生き残る恐ろしい場所なのだと話した。会社員は悲しい。とりわけ努力しなければ技術は身につかない。

 技術といえばー、技術を身につけるだけではいけないらしい。同じ会社に勤めるLが「良い製品を作っても、届ける手段を持たなければ、作った意味はないだろう」と嘆いていた。私たちの仕事は今も昔も変わらないが、取り巻く環境が変化し続けている。私たちがやっていることは、このままでは、市場で流通してほしいと願っているのに、音楽をレーザーディスクで届けるようなものになりかねない。ブルーレイにアップデートしなければいけないのだが、誰もやり方がわからない。であるからして、製品を作成する技術も無論磨いていかなければならないが、私たちが生き残る方法も絶えず検討しなければ、食い扶持を失ってしまう。私は彼ほどは悲観的ではなく、今できることは仕事を重ねるのみと考えているが、目を背けられなくなる前に、目を向ける必要があるようだ。

 とはいえども、労働が落ち着いたため、大学のK先輩と古代ギリシアの原子論をあたりつつ、マルクスの博士論文を読んでみようという話になった。もう、脳の退化を悲しむだけはやめようと。それが今の生活でもっとも、活力を与えてくれる目標だ。 私はソヴェト連邦を成立させしめた思想にかねてより興味を持っている。徹底的な分配を人間の善性に依存せず可能にする社会は理念なくして現れようもないだろう。それは括弧付きの唯物史観ということになるのだろうが、多くの役人や学者の解釈にまみれ、マルクスの企図そのものが不明瞭だ。エンゲルスからもレーニンからも一旦分けて調べるべきと考え、卒業論文で挑んではみたが、蓄積が足りなかった。ライフワークとして取り組んでいけたらと思うが、果して一回分の命で事足りるだろうか?

 さて、ともかく抵抗をはじめられそうだ。パルチザンの心持ちである。